幸せを探す、心の旅

幸せについて考えるブログです

想像してみた

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去年、最愛の母を亡くしました。

しばらくは泣いてばかりの日々でしたが

100日を過ぎたあたりから

心境の変化が訪れました。

 

仏壇の前から

母の写真を隠し

毎日せっせと取り替えていたお花も

お線香もお茶も

拝んで話しかける行為も

なぜか避けるようになりました

 

どうしてそうなったのか、

未だに、よくわかりません

 

母の顔を思い出して

話しかけると

生前のようすが蘇り

また深い闇へと落ちていきそうで

 

あるいは

唯一の理解者だった母が

もうこの世にいない、という状況を

受け入れたくなくなったのか

 

 

幸せって、なんだろう?

 

今日ふと、

想像してみました

 

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突然、莫大なお金を手にして

何不自由のない暮らしを手に入れ

欲しいものを買って

南国のリゾートに出かけて

プールサイドで傘の付いた美味しいカクテルなんかを

飲んでいたとして

 

私は幸せなんだろうか、と。

 

自分の心に問いかけてみました。

 

 

 

答えは「ノー」でした。

 

 

 

でも、そこに母がいたら、と想像しました。

 

 

涙がこぼれそうでした。

生きていたら嬉しい。

 

また色んなことを話せる。

 

そう思ったのですが‥‥

 

 

「じゃあ私は幸せか?」と問うてみると、

 

 

すぐには答えは出ませんでした。

 

 

もちろん世界一、大好きな母には

永遠に生きていてもらいたかったし

そばにいると幸せでしょう。

 

ですが

その母といる状況も

別の誰かといる状況も、

 

どんなことも

永遠ではなく

いずれ終わりは来るのです。

 

そのことを知ってしまった今

その幸せは、永遠ではなく

 

1つの倖せな瞬間でしかない。

そう、感じたのです

 

 

誰かがいたら幸せ

誰かと一緒なら、ずっと幸せ

 

それは幸せの一部であることには

違いはありません

 

けれど、すべてではない

そう思い込むことは危険だと思ったのです。

 

お金や地位、名誉も

同じことだと思います

 

もしも私が

どこにいても

一人で、幸せを感じることができるなら

 

そんな芸当を身につけることができたなら

 

あるいはきっと

誰といても幸せなんじゃないだろうか

 

だから

 

今は一人でいても

幸せな時間を過ごして

幸せを感じられるようになること。

 

それが今の自分には必要なんだ。

 

そう思えた午後でした。